己は、自分であり、他は、自分以外の他者であるのは言うまでもないですが、「利」には多義性があり、利益の利、利用の利、利得の利、利息の利でもあります。
ですから、利とは害の反対であり、効用であり、ビジネスでの利益であり、母金を貸して子金をもらう、という意味なのですね。
英語ではセルフィッシュ selfish が利己主義で、アルトリズム altruism が利他主義、愛他主義と訳されています。
仏教では自利利他という言葉があり、自らが悟りかつ他者をも救うということであり、要は、自分の心を救うと共に他人の心をも救うという意味のようです。このように「利」の解釈は簡単ではないと思います。
なお、この記事の最後では、二宮金次郎、渋沢栄一、松下幸之助、稲盛和夫の言葉を紹介します。それでは、利己と利他について考えていきます。
利己的な人の4つの特徴
まず利己的な人の特徴を4点挙げてみます。
自分の有能さ、優秀さを見せようとするあまり、周囲との調和を乱してしまい、他者が努力していることに目が行かなくなる
他者から見て、あなたの言動が徐々に利己に偏り過ぎているにも関わらず、状況を客観的に捉えられなくなっていて、周囲との軋轢を生んでいることに気がつかない場合があります。
そして、いつしか命令的な口調になったり独善的な言動が重なっていくうちに、助けようとしてくれている周囲の人たちとの距離が離れてしまい、本人には不本意な結果に終わってしまうことがあります。これは、有能と有用のはき違えかもしれません。
自分が努力をしていく過程で思うような結果が出ないと、焦る心が周囲へとしみ出てきていることに気がついていない
物事を何か始めるにあたって、ほとんどの人たちの動機は純粋だと思いますが、時間が経つにつれて、一所懸命に結果を追い求めるうちに、初心を忘れてしまう場合もあります。
焦らずに、それなりに急ぎたいのはやまやまですが、これが難しいですね。正当な結果は、良き動機と真っ当なプロセスあってのものなので、焦り心は調和を乱す要因となります。
自分を安全地帯に置きながら、他者への批判、非難をしている
いわゆる、たちの悪い評論家的な態度になっていて、自分がやればうまくいったとか、あの人だったからうまくいかなかったのだとか、あたかも観客席から野次を飛ばしているようなものです。
もしそう思ったとしても、口に出さなければ大丈夫だと考えていても、思わぬきっかけで、それが分かってしまうこともあります。まさに以心伝心で、天知る、地知る、人知る、の心がけが大事なのではないかと思います。
良い結果が得られなかった時、他者に責任を押しつけようとする
ちゃんとした結果を出したいし、あれだけ時間とエネルギーを掛けたのだから、目に見えるだけの成果を出したい.。それに自分が大いに貢献してると思いたいし認められたいし、ライバルよりも早く大きな結果を出したいのが普通です。
しかし思うような結果が出なかった場合、責任転嫁したくなってしまいがちです。そんな時こそ、その人の器や人間性が試されるのです。他者の評価はさておき、まずは自らの潔さが必要なのではないのでしょうか。
利他的な人の4つの特徴
次に、利他的な人の特徴を4点挙げてみます。
責任感が強く、もし失敗しても言い訳をしない
そのものズバリです。言い訳は禁物で、運がなかったとか、状況や環境が激変したからだと思ったり言いたくなることもありますが、まさにこらえどころなんですね。
それを口出せば、周囲の信頼を失うことになります。利他的な人は、まず自分に何が足りなかったのかを点検すべきでしょう。
もし失敗しても、自らの至らなさを認めて、軌道修正する勇気がある
成功した時は勝って兜の緒を締めよ、なのですが、実は失敗した時こそ、まさに自分の未熟な点を教えられたのだと考えられる人は、それだけで非凡なのではないでしょうか。人物です。
そこまでは無理かもしれませんが、発想や考え方を修正、調整する少しの勇気があれば、また道が開けていくのではないでしょうか。勇気は利他にも結びつくと思います。
途中途中で、他者の意見を素直な心で聞ける
他者の意見に流されやすいのは問題ですが、他者の意見の中でキラリと光るものがあれば、プライドに関係なく、どしどし採用すべきです。
しかし、もし心が頑なになっているのであれば、受け容れる度量がやや足りないのかもしれません。素直さが愚かに見えるのではなくて、柔らかさに感じられるのであれば、利他の心を発揮しているのではないでしょうか。
失敗した人への励ましと成功した人への祝福ができる
利他の人は、他者への関心が旺盛です。それは将来的なギブアンドテイクを想定しているわけではなくて、他者の人柄や人生に対して好意的に見る気持ちが、自然とにじみ出て来るからではないかと思います。
利己の人が、どれだけ激励と祝福の気持ちを持っているかは疑問ですね。
利己と利他のはざまにあるもの
以上、それぞれ4点を挙げましたが、では利己と利他の間で揺れ動いてしまうのをどうすればいいのか、と感じる方も多いのではないかと思います。
やはり中庸とか中道が思い至るかもしれませんが、これまた難題です。
利己と利他のバランスの難しさ
世の中で生きていく上で、百パーセント利己的な人はいないし、百パーセント利他的な人もいないと思いますが、判断の難しさを日々感じている方が多いと思います。
船で難破した二人が漂っている時、わずか一枚の板を見つけて、それぞれが選択を迫られたらどうするか、という例え話がありますが、では日常の仕事や生活で、利他と利己をどうバランスをとるべきなのか、大小軽重の違いはありますが、やはり選択の連続ではないのでしょうか。
利己的であること自体は問題ではないと思います。利己主義とか自己保存欲、自己顕示欲は誰でも持っています。それを否定することはできません。
しかし利己が過剰になってしまうと様々な軋轢が生じ、周囲や組織に害を及ぼすことになるのが問題です。自分の年収や地位を上げるための努力は必要ですが、それが行き過ぎて何らかの反作用や問題が生じた時こそが、バランス修正のチャンスではないのでしょうか。
年齢や責任によって、利己から利他へと比重が移る
自分一人だけだと利他に気持ちが行きにくいのですが、家族を養うことから始まり、もし起業したとして、徐々に責任が大きくなるにつれて、利己と利他の問が揺れ動き、何のために仕事をしているのかを自問せざるを得ない場面を迎えることがあります。
まさに自分の考え方の定点が、利己から利他へと向かうことができるかが試されることになるのです。
無私の気持ちが上回るにつれて、利他心が強まり、視野が広くなる
もしかすると、利他と利己のはざまにあるものは、無私の気持ちなのかもしれません。もっと分かりやすく云えば、強い責任感、大きな使命感という言葉になるのでしょうか。年齢が若ければ利己的過ぎても、多少許されるかもしれませんが、年齢を重ねるにつれて、やはり無私の心が薄い人について行こうという気は起こらないのではないでしょうか。
利他の心が強くなると、今まで見えていなかった視点で物事を眺めることができるはずです。さらに、あたかも大空を舞う鷲のように、高い観点から望むかのように。
おそらく、これまで見落としていた周囲の人たちの長所に気がついてくれば、無私の気持ちが心を占めるようになったと言えるのではないでしょうか。
なお、利他についての注意点は、自己犠牲とか自分が我慢すれば、状況や問題が丸くおさまると、無理に自己抑制をしてしまうのは少し考えものです。もし丸くおさまったとしても、中長期的観点としてどうなのかは、かなり予想しがたいものがあるからです。
利他的な人が成功するわけは
次に、ようやく無私の心までたどり着いたとしても、果たしてそれで成功するのか疑問が起こるかもしれませんが、以下、成功の要因を挙げてみます。
静かに仕事ができるので、周囲の生産性を高められる
ビジネスでの成功においては、利己的と利他的の両方が必要ですが、まずは自分の仕事をちゃんとこなすのが前提で、その延長戦上として、チームやグループ、組織全体等への展開が控えているので、どこかで利他的にならないと行き詰まるのではないかと思います。
もし周囲の人たちを巻きこんだり、自分の仕事を淡々とこなせなければ、他者の時間とエネルギーを奪うことになります。ですから、しっかりと仕事をこなしていければ、自分への関心が限りなく薄くなり、周囲はそのエネルギーを他に振り向けられるので、組織全体がより生産性の高い仕事へ向うことにつながるのではないでしょうか。
他者への関心が利己的ではないので、客観的に自他を観察できて貢献度が上がる
責任が大きくなるにつれて、自分のことを考える時間が相対的に少なくなっていき、広い視野で物事を見る必要性に迫られるので、どうしても客観性が求められます。
すなわち他者、組織、社会、国家への関心が高まっていく人間、すなわち論語で説かれているように、修身、斉家、治国、平天下へと関心が広がることで「君子」と称される人物となるのと同様、利他的な人間になればなるほど、その貢献度が高まり広がっていくのが自然の流れなのではないでしょうか。
なお利己的な人は毎日のネットや新聞をにぎわしているので実例は出しませんが、歴史的人物としては秦の始皇帝ですかね。なお歴史上の人物の評価は極めて難しいので、様々な方々の色々なコメント等については、細心の注意が必要だと思います。
利他的に生きた人物とお勧めの書籍
目標が高すぎても低すぎてもいけませんが、これから挙げる4人の方々は、その都度都度に考え方を変えていっているようです。
また、共通点は名前を残そうとしたり、巨万の富を稼ごうとすることよりも、それぞれの立場、境遇で、より多くの人々のために自分に何ができるかを考え続けたのだと思います。そして偉大な仕事をし終わった後、結果的に名声や財産が残ったのではないのでしょうか。最初から、名を残したいとか、財産を築き上げたいという気持ちはなかったと思います。
それでは、幾つかを紹介させていただきます。
- 二宮金次郎『二宮翁夜話』
大事をなそうと欲すれば、小さな事を怠らず勤めよ。小が積もって大となるものだから。
二宮金次郎 『二宮翁夜話』 P.14
己のためにするときには禍がそれにしたがい、世のためにするときには福がこれにしたがう。財宝もまた同様だ。蓄えて施せば福となり、蓄えて出さなければ禍となる。これは知っていなければならない道理だ。
二宮金次郎 『二宮翁夜話』 P.24
- 渋沢栄一『うまくいく人の考え方』
自分は自分の流儀で自分の行くべき道を進み、他人は他人の流儀で、これまたその行こうとする道に進ませるしか方法はないので、自分と違った流儀の人を無理に自分の流儀に屈服させようとしても、それはだめだ。
渋沢栄一 『うまくいく人の考え方』 P.181
いくら行いが親切でも志がいやしかったら、人はけっしてありがたいとは感じないものだ
渋沢栄一 『うまくいく人の考え方』 P.215
- 松下幸之助『人事万華鏡』
人を使うといっても、それは私が創業者であり、ずっと社長とか会長とかいう立場にあったから形の上でそうなったのであって、見方によっては、私の方が使われてきたとも考えられる。社員の人が、うまく私という経営者を使ってくれたから、これだけの成果があがったのだともいえる。
松下幸之助 『人事万華鏡』 P.7
人間というものは本来偉大なものだと思う。心配があることによって、一面悩んだり苦しんだりもするが、反面、それを克服しつつかえってそれによって生き甲斐を感じ、成長していくものである。
心配引き受け役としての役割を果たしていくことが、人を使う立場にあるものとしての大切な心構えだといえよう。
松下幸之助 『人事万華鏡』 P.27
- 稲盛和夫『稲盛和夫の哲学』
私は人間の根源には宇宙の意志があると考えています。私はそのうえに転生輪廻が行なわれていて、過去世において経験した意識を人間は引き継いでいるのではないか、それが『もともとあるもの』ではないかと考えています。
稲盛和夫 『稲盛和夫の哲学』 P.37
科学的と称して、小さな事実を確認し、議論を積み上げていったとしても、それで全体がわかるとはかぎりません。小さな部品をちゃんとつくった。それを組み立て、機械をつくった。では、その機械が動くかといったら、動かない場合もあります。機械をつくるには機械全体を考えないといけないのです。
稲盛和夫 『稲盛和夫の哲学』 P.93
おわりに
おそらく4人の方々はそれぞれで、社会、国家、世界、宇宙について、心の底から考え抜いていたからこそ、利他の精神を大いに発揮し、素晴らしい業績を上げられたのだと思います。
将来の発展に向けて、少しずつこれらの言葉を味わってみてはいかがでしょうか。そうすれば利己と利他の違いやバランスが見えてくるのでしょう。